仕事の山をひとつ越えて、
やっとホッとした気持ちでプライベートを過ごしました。
どこまでが仕事でどこまでがプライベートなのか線引きの難しい世界に生きているので、
ともすると、24時間臨戦態勢みたいな時もあって、切り替えて気持ちを緩めることが難しかったりします。
もっと上手にスイッチが作れればいいのですが…
これでもマッサージとか色々やってみてるんですけどね。
ちょうど一昨日くらいに、後輩ダンサーさんが昔のFBの写真をシェアしていて、2012年くらいかな、
私がこう言っていたそうです。
"ダンスで地球を癒したい"
そうそう、そう言葉にしていたな、と思い出しました。
今もその気持ちは変わらないけど、
癒しの意味が変わって来たなと思います。
その頃は、踊りのテクニックで、具体的に身体を緩めまくって、オステオパシーでいう間接法のように、身体が自然に元来の形へ向かおうとする力を導こうとしてました。
それは、こうしたい!と主張しまくっていた私の身体をリセットしていくような作業で、
エゴを徹底的に抜くようなそんな時間でした。
7〜8年はずっとひらすら抜き続けていたかな、
それが、ある程度抜けた時に、
そのまま同じことを続けていくことの限界を感じました。
それは私たちが、留まっているのではなくて、
生きているから。
最近は
生きるチカラというのを、意識し始めました。
ある意味、欲とも繋がっているし、本能のチカラなのかな…
完全なる癒しの状態って
何も欲しくなくなる
もうそのままで良くて、満たされてる。
でも、ずっとそこに留まっているわけにはいかないから、振れ幅あって行ったり来たりする。
その行ったり来たりのバランスを取っていることが
今思う、私にとっての癒しの括りかな…
ゼロポイントみたいな癒しの感覚が掴めた時に、
もうここから動きたくないって思ってたから、
そこから動き出すのに、しばらくかかったなぁ…笑 数年はヤダヤダってなってた気がします。
出産というのは、その点、動き出しの起爆剤になったかもしれない。
臨月へ向けて、自分のコアに嘘がつけなくなっていって、ああ、こんなに頑張ってたんだって手放しが起きて、出産したら、もう何もかにも言うこと聞かない時が続いて、でも、確かな幸せがあって…
言うこと聞かない身体が落ち着いて来た頃に、
ああ、生きるチカラがもっと必要なんだ
って腹の底から湧いて来ました。
これって、人によっては違うかもしれないですね。出産で、もっと手放そうってなる人もいるだろうし。
今は、この生きるチカラの踊りを自分の中でひとつ体系化出来るくらいまで整えたいなと奮闘中。
もうすぐ、それまでの癒しの踊りと合わさった、今思う"生きた癒しの踊り"が安定化してくるはずです。
…それにしても不思議
私の踊りは単なるオリエンタルダンス
特にショーとしてスピリチュアル系を目指してはいないし、レッスンも論理的。でも、頭の中も取り組みもスピリチュアル系なことばかり考えてます。
・☆*・sali・*★・
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