ふと、セクシャリティについて今夜のレッスンでは語ってしまいました。
オリエンタルダンスとセクシャリティは切っても切り離せなくて、だからこの踊りなんだという理由が私の心にはあります。
ただ、世の中では、セクシャリティは、本来の意味とズレて、エロティックなものになってしまっていたり、TPOが合ってなかったり、そして人間の本質的なところだからこそ、トラウマがあったり封じ込めたかったり…
本来は、創造の泉、生きる力、喜びそのもの
今までに起きた出来事が、どこかで歪みを作り出して、そしてそれがまた連鎖して…
それを断ち切って、自分のセクシャリティと繋がることは、誰にとっても自信に繋がるんだろうなと思います。
最近思うのは、その扱いに繊細でいようということ。ちゃんと線を引いたその内側で仲間と分かち合うようにしたいし、全てが公になるようなオープンなことは、良いことないなということです。
いつの頃からか、神秘性が失われて
それは踊りが論理的に解明されたからかと思っていたけれど、おそらく、本当の理由は、オフィシャルになり過ぎたからなんじゃないかなと思うようになりました。
私はセンシュアルでいたいし、セクシャリティに美しさも強さも見ています。でもそれを心地良く思う人と、そうではない人がいるんだなと、改めて感じてます。
どこでも見れる
じゃなくて
探さないと見れない
私達オリエンタルダンサーは、
そんな、隠れていくことが必要なのかもしれません。
そんな少し世の中から離れたところで、本当に美しいセクシャリティを、敢えて探しにきた人たちにシェアするような、そんな立ち位置が、オリエンタルダンスのあるべき形なんじゃないかな、なんて、思うわけです。
露出が多い衣装を着てパフォーマンスをする時にもっと神秘的でありたいと思うようになりました。
そして、レッスンのようなクローズの場所では、仲間達とセクシャリティへの抵抗を感じさせない安心してオープンに踊って楽しめるような時間を作り出していきたいと思います。
…当たり前のことに改めて焦点が当たっただけかもしれないけど、でもオンライン化が進む中、大切にしていかなきゃなって思いました。
・☆*・sali・*★・
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